女性の参政権要求運動は、女性労働者たちが中心となりました。

女性の参政権要求運動は、女性労働者たちが中心となりました。

女性の地位向上、女性差別の払拭等を目指す国際的な連帯と統一行動の日です。1908年2月28日、アメリカ合衆国ニューヨークでのストライキで女性が労働条件の改善を訴えたのが始まりです。
第1次 世界大戦が長期化し、戦死者数の増大とともに、食料、医療、燃料の不足が深刻化する中、1917年のこの日を中心に、ロシアでは女性たちが、「パンと平和を」をスローガンに反戦デモに立ち上がり、ロシア革命の引き金になりました。その後紆余曲折を経て1年後の1918年3月、ロシアは第1次大戦から撤退。戦争終結への大きな力となりました。そしてその1年半後、同様の反戦デモ・革命がドイツでも起こり、第1次大戦は終わりました。
第1次大戦後、世界は平和を求めることが前提となり、国際連盟がつくられ、不戦条約がつくられました。19世紀の弱肉強食の世界から、20世紀には平和を求めることが少なくとも建前にはなりましたが、社会を一つ前に進める上で女性たちは大きな役割を果たしました。

高教組は過去に、元委員長を知事候補に立てて、10万票以上を獲った経験があります。その時の公約の一つは高校の機械的統廃合阻止、少人数学級実現でした。いずれも今日の県政に大きな影響を与えています。
事実は「関西生コン幹部」ではなく「関西生コン労働組合のリーダー」。事実とまったく違った印象を与える世論誘導。NHKにはこういう報道をする意図を教えていただきたいものです。
高校生が平和のためにできることを、自分たちの得意分野を生かして取り組んでいるというのが、とてもステキです。
「憲法九条の碑」長崎工業高校がデザイン 被災協が生徒に感謝状 この夏の建立を目指す | KTNテレビ長崎
3月2日(日)13:00~長崎市民会館 で上映。ある日、自分の家が立ち退きの区域にあることを偶然知ったら、多くの人は同じように行動するのではないでしょうか?
映画「○月○日、区長になる女。」 毎日映画コンで受賞 長崎・長与出身の監督「もっと作品広げられる」 | 長崎新聞
先日亡くなった森永卓郎氏によると、労働力に見合うだけの賃金は、いくら頑張って働いても、年収3000万が限界だそうです。それ以上は他人が働いた分をかすめ取った不労所得なので、全額徴税すべきと森永氏は言っています。貧富の格差をもう少し縮めれば、消費税など取らずとも、福祉も教育ももっと充実したものになることでしょう。

「教員組合は教師の生活を経済的に安定させ、さらに教師としての教養を向上させ、それによって、教育の道に全力がつくせるように…教師がたがいに助け合い、また、当局に対して正当の要求をつらぬくことを目的とする」
「教育の方向がゆがめられたり、教師の身分が不安定になったりするおそれがあるときには、教員組合はその団結の力をもって、教育の正しいあり方と、教師の身分の安定とを保障しなければならない」。
文部省「新教育指針」(1946年 昭和21年)より。
「教育を語るつどい2025」の講演で宮下さん(全教委員長)提供の資料。

上の図は東京の状況です。全教組織が教職員組合の多数を握る東京は、権力による攻撃が最も激しいところです。教職員の分断策として今から10数年前に導入されたのが「校長・副校長・主幹教諭・主任教諭・教諭」の5階層化。このしくみを政府は今、全国に広げようとしています。東京で「主任教諭」とよばれるものを「主務教諭」として各県で設置可能とする法律案が国会に出されています。
これは学校の上意下達を進め、民主教育を破壊するとともに、教職員の分断を進め、そのことで組合を弱体化させ、また人件費を切り下げるものです。
文科省は「若手の指導にあたる」とか「外部との交渉にあたる」とか、とってつけたような言い訳をしていますが、まったく意味不明です。
このような害悪にしかならないものを導入させてはなりません。
長崎新聞2025年2月17日付「戦争の記憶」
島農付近に特攻基地があったことを調べ上げ、探し出し、同僚と協力し痕跡を確認。2007年の島原支部教文誌に掲載。「島原半島には他にも知られざる戦争遺跡がある。これからも研究していきたい」とのこと。

長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
江戸時代、会津城主だった保科正之公は、4代将軍徳川家綱の補佐役として江戸の明暦の大火の後、燃えた江戸城の天守を再建せずに、町民のための江戸の復興を優先しました。正之公の精神を見習って欲しいとフクシマの地で感じました。東日本大震災は、宮城県や岩手県で津波による多くの犠牲者を出しましたが、地震、津波に加えて原発による被害を受けているのはフクシマだけです。被災地の現場で話をお聞きして、愛する家族を失った木村さんの思いを伝えていかなければならない、これからも自宅に帰れない人がいるというのに、原発再稼働を進めようとしている政府の姿勢は決して許せないという思いを強くしました。
今回のフクシマでの学習を通して、私はこれから、長崎の平和ガイドや平和教育の担当者として、「見る、歩く」だけでなく「考える」をテーマに、被爆遺構を案内し、なぜ原爆投下に至ったのかをしっかり「考える」フィールドワークを行っていきたいと心に誓いました。(終わり)
長崎高教組執行副委員長 今泉 宏

木村さんの自宅があった地域は、現在も帰還困難区域になっており、そのため建物などもそのまま保存されていますが、一方で田畑は除染の際に集めた土が盛ってありました。異様な光景に感じられました。また、誰も住んでいないのに、防潮堤の復旧工事だけは行われていました。話を聞くとお役所にとって復興とは元に戻すことなので、誰も町に住んでなくても津波で壊れた防潮堤を震災前に戻すと言って工事を進めているそうです。木村さんからは行政に対する呆れた怒りも感じました。(つづく)
長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
地震発生時、木村さんは隣町で仕事をしておられて、避難所に行けば家族に会えると思って行ったそうですが、3人の姿が見えないことが分かり、翌日探しに行くつもりだったそうです。しかし、原発の事故で、町外避難となり、捜索はできなくなったことがさらに木村さんを追い詰めることになったと感じました。

お父さんと奥さんの遺体は、後に近くで見つかったそうですが、汐凪さんの遺体は見つかりません。木村さんは一時帰宅を利用して、粘り強く探され、震災から5年9カ月後にようやく汐凪さんのランドセルとマフラーを発見、その後骨の一部が見つかったそうです。汐凪さんの遺品が見つかった場所で木村さんは、原発事故により助かったかもしれない家族を助けられなかった悔しさ、国の原発政策への怒り、汐凪さんが眠っているこの場所をそのまま保存して欲しいという思いを私たちに語られました。フィールドワークで現場に言って話を聞くことの大切さを感じた時間でした。 (つづく)
高教組facebookの2016年のリポスト。ドラマは2005年放送の「女王の教室」。主人公が最後に言うセリフです。この20年間で少しは改善されたでしょうか?

長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
また、木村さんは学童の先生に、「木村さんの家は海の近くだからこの場に留まった方が良いですよ。」と言って欲しかったとも話されました。言葉の裏には、参加した私たち教職員は、生徒の家庭環境もわかっているだろうから、適切な判断をして欲しかったというメッセージが込められていました。自分だったら適切な判断ができただろうかと考えると、教師としての判断の重さを感じました。また、心配した木村さんのお父さんは、最初は小学校に長女を迎えに行って、長女には学校には留まるように言ったのに、どうして次女だけを連れて行ったのかとも話されました。災害が起こったときの判断の難しさも伝わってきました。
津波で汐凪さん、木村さんの奥さん、お父さんの3人が犠牲になりました。私たちは木村さんの自宅があった場所まで行きました。家の跡形もない、玄関のタイルだけが残された現場に声も出ませんでした。
長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
この小学校には、木村さんの二人の子どもさんが通われていました。1階の1年生の教室には木村さんの次女汐凪(ゆうな)さんの教科書や図書館から借りた本が机の上にそのまま状態で残されていました。汐凪さんは下校後学童に行っており、そこで地震に遭いましたが、心配した木村さんの父(汐凪さんの祖父)が迎えにきて、自宅に帰ったとき津波の犠牲になったそうです。この教室で過ごしていた汐凪さんの姿を想像すると木村さんの子を亡くした悔しさ、無念さがより身に沁みました。「この教室は今の状態で保存して、訪れた人が原発事故、津波の恐ろしさを感じ、後世に伝えて欲しい。また、娘にいつでも会える場所として残して欲しい。」と木村さんは語られました。私も全く同じ考えです。(つづく)

長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
今回一番印象に残ったのは、2日目午前の木村さんのガイドによるフィールドワークです。私が現地に行って感じたままを報告します。

バスは、いわき市から木村さんの自宅があった大熊町に入り、帰還困難区域に入るため、スクリーニング場で線量計を受け取りました。線量計を下げて、この区域に入るだけでも、緊張感がありました。
最初に案内されたのが、熊町小学校でした。この小学校は高台にあるため津波の被害はありませんが、原発事故により立ち入りができなくなり、2011年3月11日で時が止まっている状態でした。(つづく)
長崎高教組執行副委員長 今泉 宏

最後に訪れた宝鏡寺には、元々上野東照宮に灯されていた「核兵器をなくし、永遠に平和を誓う広島、長崎の火」が灯してありました。震災後、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマ伝言の火、非核の火となり、現在も灯し続けています。

この行動を起こしたのは、故早川篤雄和尚様です。まさか遠く福島の地で、震災の前から核廃絶のためにナガサキの火を灯している方がおられるとは全く知らず、和尚様の行動に心を打たれました。
和尚様が亡くなられたのは残念ですが、境内には「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ伝言館」が造られ、和尚様の思いが、奥様や安斎郁郎先生によって引き継がれていました。長崎の方にも是非知って欲しい、ナガサキの思いと共感できる場所だと感じました。(つづく)
長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
2日目は、バスで大熊町へ移動。午前は、家族3人を失くされた木村紀夫さんの案内で、帰還困難区域にある熊町小学校や木村さんの自宅跡周辺のフィールドワークを行いました。午後は、菅家新さんのガイドで、浪江町の津波被害にあった請戸(うけど)小学校の被災校舎を見学、最後に楢葉町にある宝鏡寺を訪ねました。

午後から訪れた請戸小学校は、海岸から300mの場所にある小学校で、震災直後15mの津波に襲われ校舎は被災しましたが、子どもたちと先生方は全員が避難し、難を逃れました。津波は2階の教室まで達しており、もし少しでも避難が遅れていたら、多くの犠牲者が出たのではないかと思われます。先生方と子どもたちの判断、子どもたちが良く知っている山道を使ったことで奇跡的に助かったそうです。先生方は車通勤が多いので、細かい道や山道などを知らない可能性があります。そこで子どもたちの意見を取り入れた当時の先生方の判断に学ぶものがありました。長崎の島原にも雲仙普賢岳の火砕流で被災した大野木場小学校が被災したままの状態で保存されています。災害の多い日本では、被災校舎の保存は教育的にも重要であると感じました。(つづく)
フォトジャーナリストの大薮順子さんと大村市のパートナーシップ宣言制度を利用された松浦慶太さんに講演いただきました。多様さが存在することをまず認め、共存し合い、支え合う社会をどうつくっていくかを考え合いました。
主催実行委員会を構成するのは、県教組(議長)、高教組(副議長)、自治労、平和運動センター、長大教組、社民党、共産党、靖国問題キリスト者連絡会議。こちらも多様。多様性の中から発展が生まれます。
長崎高教組執行副委員長 今泉 宏
2024年9月21日(土)~22日(日)、震災から13年目にして私は初めてフクシマの被災地を訪問することができました。
初日は、震災当時避難所となった県立福島高校で養護教諭として勤務されていた高橋美代子さんの体験談、福島県立高教組委員長の永峯英明さんによる「ふくしまの教育のとりくみ」についての報告がありました。
校舎や先生方の自宅が地震で被災したにも関わらず、県立福島高校は500人以上を受け入れた避難所になったそうです。県立のため市の担当者は来ず、先生方が避難所の運営を任されたという話を聞き、自分の身に置き換えてその場の大変さを想像しました。特に高橋さんは養護教諭だったので、事情を知っている生徒とは異なり、全く情報のない被災者の健康面や衛生面のケアなど大変だったと感じました。また、原発から離れているとはいえ、学校の放射線量は高くなっており、数か月後に除染も行われたようですが、当時の生徒たちに対する放射線の影響が大変気になりました 。
「ふくしまの教育のとりくみ」では、地震、津波から原発被害、放射線、汚染水、差別まで50時間分の授業計画を作られたことに、ふくしまで起こったことを正確に教育の場で伝えなければならないというふくしまの先生方の熱意と意気込みを感じました。しかし、原発の問題は、経済社会に溶け込んで共存しており、核兵器や戦争のように批判的に教材化することが難しいという課題も示され、広げていく難しさを感じました。
夜の夕食交流会は、各自がどんな思いでこのツアーに参加したのかを語り合い、交流を深めました。ちなみに私は、長崎で平和ガイドをしていることもあり、現在も続いている放射線の影響について長崎ではほとんど報道されないので、フィールドワークで現地に行って自分の肌で感じたいと思い参加しました。(つづく)
14時より 長崎地区労会館にて 講師は大薮信子さん(フォトジャーナリスト) 主催 長崎県靖国法案阻止共闘会議(高教組は副議長)

24年前の今日、愛媛県宇和島水産高校の実習船えひめ丸が米原潜に衝突され沈没し、生徒、教員、船員ら9人が無念の死を遂げました。当時の首相はこの事件の報を受けた後もゴルフを続け、艦長は裁かれず、米メディアでは漁船と報道されたとのこと。決して風化させてはならない事件です。
長崎高教組執行副委員長の今泉宏さんが、昨年9月に全教主催で開催された「フクシマを見る・歩く・考える」行動に参加しました。その報告を明日から5回にわたって連載します。
高教組OBの方の投書。高齢者に税金を使うのを削ろうとする動きがありますが、まず削るべきなのは、政治家が私物化している部分です。世代間対立を煽って巨悪が逃げる、そういうカラクリを見抜いて勇気を出して声を上げる、そのことができないと、「人民のための政治」はやってこないと、この投書を教えてくれます。

「決まったことが伝達されるだけ」になってしまった学校の「職員会議」。「学校運営にかかわりあいたくない」という若い教員も多数派に(週刊SPA!) – Yahoo!ニュース
教育への情熱が高ければ、当然「学校運営」のあり方に関わることになるので、もし本当に「学校運営にかかわりあいたくない」が多数派なら、教員の教育への情熱が低下しているということで、まったく残念なことです。「決まったことが伝達されるだけ」になってしまったのなら、それを変える努力が必要です。ただこの記事、ちょっと誘導的な気もします。 本当に「学校運営にかかわりあいたくない」は多数派なのでしょうか??
「一戦交える覚悟」説く 尖閣関連行事で与那国町長(八重山日報) – Yahoo!ニュース
この町長「邪悪な国家に対して常に一戦を交える覚悟、刺し違える覚悟が問われている」と熱く語ったそうです。国境の町長が隣国を挑発する……その危険性をこの町長はどれだけおわかりなのでしょうか。尖閣は日本領ですし、中国に対し毅然とした姿勢を貫くべきですが、軽はずみな挑発をする必要はありません。歴史を振り返れば、多くの戦争は軽率な愚か者の妄動をきっかけとして始まることが多いものです。
また町長であれば、町民を別の島に輸送するなどいち早く非難させることに全力を尽くすべきなのに、町民に「刺し違えよ」とは尋常ではありません。そもそも町長にそれだけの命令権もありません。
クルド人女児の通学阻んだのは、さいたま市教委の「認識不足」 「除籍」誤り認め謝罪、復学へ手続き:東京新聞デジタル
支援団体が抗議したから、謝罪、復学となりましたが、誰も声を上げなければそのままです。おかしいことにはおかしいと声を上げることが大事です。
長崎の本島元市長の銃撃から35年…言論の自由へ誓い新た、市民ら集い | 長崎新聞
全国から黒塗り街宣車が集まり、長崎の狭い道が埋め尽くされたのを覚えています。今は代わりにSNSでの誹謗中傷。より陰湿で、卑しく、汚らしいものになっていっている気がします
【長崎】原付バイクで暴走…県内唯一の暴走族グループが壊滅「天煌」の少年ら逮捕(長崎文化放送) – Yahoo!ニュース
壊滅…そうでしょうか? 高教組会館のある中川2丁目では、今でも改造車で暴走するのをよくみかけます。世界では米軍がテロ組織を壊滅させたというニュースをよく耳にしますが、実際には壊滅していません。警察による取り締まりは大事ですが、暴走族を生み出すような社会や教育のあり方を見直すことも必要です。