10%の根拠も示さず政権党

 教職調整額とは何のためのお金なのか、明確な答えも示さず、ただ額を上げれば野党の一部を切り崩せるだろうという、政権党のこの姿勢。これで法治国家なのでしょうか? 10%は残業代約20時間分に相当しますが、教職員の残業は92時間10分です。本来なら46%にすべきです。全額教職調整額だというのなら。2人で3人分の仕事をさせてるのですからそれぐらい払っていただきましょう。

 でも教職員は子どもたちのためと思って、そんな金の文句は言わずにみんな頑張ってきたんです。疲れていても家庭を後回しにしながら。そのことを権力を握っている方々はもう少し分かってほしいもんですね。

教員給与上乗せ分10%へ 30年度までに段階引き上げ(共同通信) – Yahoo!ニュース

パワハラの正当化

 パワハラは「指導」って言葉で正当化する。 虐待は「教育」って言葉で正当化する。 相手のためを思っての行為だと自らを正当化する。 そして自分は間違ってないと一生言い続ける。
 「指導」「教育」 よりも 「パワハラがないこと」 「虐待がないこと」 のほうがよっぽど大事です。 「指導」「教育」は「パワハラ」「虐待」をしても良い理由にはなりません。

教職調整額は残業代ではありません

 教職調整額は「残業代」ではありません。「教育職員の特殊性に基づき支給されるもの」です。教材研究など実測不可能で私的なものかどうかも区別がつかないものが多くあることを踏まえた対応が教職調整額です。残業代ではありません。意図的に言い換えた報道でなければよいのですが…。

教員の「残業代」、30年度までに段階的引き上げ…基本給の4%から10%に : 読売新聞

愛があれば勇気が

 市教委の担当者は、定数を上回る教員の配置分は国庫負担がないとし、「一定程度臨任を配置することは市に限ったことではない」と話したとのこと。だから教委も国に抗議せよ、という話です。何で「ウチだけじゃないんだから、現場で何とかしろ」となるのでしょう?? 教職員のことを思って、子どもたちの教育の事を思って、どうにかせねばと文科に逆らってほしいものです。愛があれば勇気が湧いて出るものなんですけどね。

教員「未配置」解消求め 横浜市教委に1万超の署名提出 新たな休職者を生む「悪循環」の指摘も(カナロコ by 神奈川新聞) – Yahoo!ニュース

優しい心、温かい心であるためには

 みんな長時間過密労働で忙殺され、教職員が支え合えなくなってる。ひとりで抱えなければならない、孤立と自己責任に押しつぶされる。私たちが辛ければ辛いほど、子どもたちはもっと苦しい。「忙」は「心亡」ですが、人としての優しい温かい心を失ってはなりません。信じあえる、助け合える仲間が必要です。教職員組合が職場の過半数を占めていた30年前、40年前にはなかった数字です。

精神疾患で休職の教員、過去最多に 生徒指導や人間関係が負担(毎日新聞) – Yahoo!ニュース

いい本らしいです。

  佐久間亜紀さん(慶應義塾大学教授)の新著『教員不足』(岩波新書、11月20日発売)。見事なまでに、教員不足の現実とその原因、そして対策までを解説しているとのこと。

教職員の長時間過密労働問題、徳島県で教育長がメッセージ

 前半で教員が忙しいのが教員の頑張りすぎのせいであるかのように言っているのはちょっとどうかと思いますし、最初に出てくるのがDXで、教員を増やすというのが一言も出てこないのもどうかと思いますが、しかし、こういうメッセージを教育長が先頭に立って述べているのは立派で嬉しいことです。前川さんもいかがでしょうか? 

ホーム – とくしまの学校における働き方改革

大阪、西成高校「反貧困学習」

「日本のシングルマザーの生活が苦しい理由」を学ぶ – 集英社新書プラス

 大阪府立西成高校。「西成」という、差別や貧困など社会問題が凝縮される場所にある同校で2007年、全国のどこにもないオリジナルな授業「反貧困学習」にがスタートしました。そのルポです。 『「どうせ」と人生を諦めていた子たちが、「状況を変えていく主体」に生まれ変わる』そんな思いになれる必読の本です。

20年前とエライ違い

 20年前には、教科によっては20倍なんて倍率もありました。「もう10年近く期付やってるけど受からない」などという声もあってたほどです。高教組は「もっとたくさん採用すべき」「何年もやってる人をなぜ採用しない」と言ってきましたが、県教委は「教育の質の維持もあるから」と拒んでました。

 さてそのあたりふりかえって、間違いは間違いと認めて、新しいスタートを切ってほしいものです。

教員採用試験 受験者数が減少 試験に合格しても辞退者相次ぐ 追加募集の自治体が12に | NHK

ヤンキー母校に恥じる

 「あの頃の義家弘介を思い出せ!」教育方針を180度曲げてしまった“ヤンキー先生”に旧知の作家が望む「再更生」。

 今から20年ほど前の2004年8月、長崎高教組青年部はこの方をよんで、長崎市公会堂で「教育講演会」を開いたものです。一般市民の方も含め1000人ほどが集まってくれました。あの頃は、社会の矛盾にツッパリ通して、生徒のために体を張って奮闘するステキな青年教師で、彼の動きは文科の進める教育の対極にあったんですけどね。多くの人が彼に夢を見ました。でもまさか自民党安倍派の文教族になっちゃうとは…。国会の文教委員会で、審議中にスマホさわってたり、推理小説読んでた姿は衝撃でした。「ヤンキー先生」という言葉には今でも懐かしい思いがこみ上げてきますが、それはメディアのつくった虚像だったのでしょうか?

タブレットを誰が負担するか、全国の状況

 12月15日の朝日新聞の記事。欧米ではICT教育そのものを見直して縮小の方向にあるのに、日本は周回遅れです。「買えません」「買いません」「タブレットなど学校には不要です」と保護者が言ったらどうするんでしょうね?まず保護者の声を聞いてから決めるべきではないでしょうか。当事者が黙っていることを前提とした政策決定は止めてほしいものです。

本県の教育条件を改善し、すべての子どもたちにゆきとどいた教育を行うよう求める請願

  12月10日、長崎のゆたかな教育をめざす会は、教育条件整備の県議会請願(「本県の教育条件を改善し、すべての子どもたちにゆきとどいた教育を行うよう求める請願」)を行いました。3,447筆、米一袋分と同じ重さ(4.7㎏)の署名用紙を机に積んで、高教組書記長が学校の忙しさの解消など5項目を求め、「教育は百年先の投資」「長崎の発展は教育にこそある」「財源が乏しいからこそ教育にお金を使うべき」と訴えました。

1:01:28~1:12:53 残念ながら請願者の訴えである「請願趣旨説明」は記録に残らず(休憩中扱い1:03:11~1:08:06)、YouTubeでも配信されませんが、議員のやりとりは記録されていますので、ご確認ください。

部活動をどうするか?

 スポーツ庁と文化庁が合同で、12月10日、「地域スポーツ・文化芸術創造と部活動改革に関する実行会議」の第2回会合を開催したそうです。学校から部活動を切り離すのか、運営主体の在り方を問う議論がなされたとのこと。ハンマー投げの室伏スポ長官が「改革の歩みを止めないということは、部活動を学校から切り離すこと」と発言したところ、全日本吹奏楽連盟理事長 の石津谷治法氏が「学校から切り離せば、音楽活動は成立しない。完全に切る方向は納得し難い」と反論。また、日本PTA全国協議会会長 の太田敬介委員は「全国の保護者に費用負担について丁寧に説明してほしい」と指摘。香川県のある市長は「自治体任せ、保護者任せでは立ち行かない」と主張したとのこと。

 私たち教職員は、子どもたちのためと思えば、時間を割いて、自腹も切って、子どもたちの喜ぶ顔が見たいから、部活動を頑張ってきました。お金がないからと押し付け合うようなことは止めてほしいところです。そもそも教育予算が足りないということがこの会合の結論ではないかと思います。

 それともう一つ。教員の働き方改革といいながら、教員の代表が出席を許されない会合って何でしょうかね?

Xの投稿より

「みんな「誰か」がやってくれると思っている。教員は校長が、校長は教育委員会が、教育委員会は文科省が。そして文科省は現場が。 けれど、よく考えてほしい。 「誰の」職場なのかを。 働いている私たちが、私たちのために動かなければ。」

現場の教職員の思いは何か?

給特法反対なのに文科省の教員給与案に賛成 日教組は変節したのか | 毎日新聞

 私たちは全教(全日本教職員組合)で日教組(日本教職員組合)ではありませんので、日教組がどのように判断しようと関知しませんが、今まで長時間過密労働の解消を求めるという同じ目的の下に運動してきたことを踏まえると若干の戸惑いがあります。

 全教の方針は次の通り。①給特法は廃止ではなく改正を求める(給特法が残業を禁止しているから)②改正は具体的ブレーキ規程の追加(2割5分増となる残業代の支払い)③文科省案は残業代の支払いを前提としておらず反対④財務省案は教員の増員を求めておらず反対⑤財務省案か文科省案かという二者択一にはのらない 以上です。

Xの投稿より

「来年も非正規教員を希望するか否かのアンケートに回答しました。生活がかかってるから、もちろん希望するんだけど、採用試験ではちゃんと現場での経験を考慮して正規への道を開いて欲しい。使い捨ては、やめて下さい」

 どこかの県の臨時教職員の方の投稿。県は生徒数が減っているからと一定数を臨時にしていますが、経験もあって正規と同じように働いている人は、正規として採用すべきです。教育の場で「使い捨て」などあってはなりません。