主務教諭の導入に反対

上の図は東京の状況です。全教組織が教職員組合の多数を握る東京は、権力による攻撃が最も激しいところです。教職員の分断策として今から10数年前に導入されたのが「校長・副校長・主幹教諭・主任教諭・教諭」の5階層化。このしくみを政府は今、全国に広げようとしています。東京で「主任教諭」とよばれるものを「主務教諭」として各県で設置可能とする法律案が国会に出されています。

これは学校の上意下達を進め、民主教育を破壊するとともに、教職員の分断を進め、そのことで組合を弱体化させ、また人件費を切り下げるものです。

文科省は「若手の指導にあたる」とか「外部との交渉にあたる」とか、とってつけたような言い訳をしていますが、まったく意味不明です。

このような害悪にしかならないものを導入させてはなりません。

「2025教育を語るつどい」での高教組OBの感想より

小学校低学年の時、担任の先生から「あなたは学校の先生に向いているから先生になりなさい」と言われました。同窓会で聞いたところでは、イジメをしている子がいて、教室から飛び出した子を呼びに行ったりしていたそうで、そういうことがかかわっているのかなと思いました。

高校の時は亡くなった高村暎先生が、「教員はいいぞ、民間の会社のように盆暮れの付け届けなどしなくていいんだから。教員は生徒に対してはベテランも新任もない、平等なんだぞ」と話してくれました。

何のためらいもなく組合に加入しました。先輩たちの組合の活動がすばらしかった。しかし自分の組合活動が後輩の教員たちに組合活動の必要性をアピールできたかどうか、反省しているところです。

教育を語るつどい2025

 教育を語るつどい2025(冬の教研)を、2月22日、諫早市で開催しました。高教組の他、高退教、教職員の会、新婦人、県労連など諸団体を含め30人が参加しました。連休の初日にも関わらず多くが集まり、遠くは壱岐からも参加がありました。

 第1部では、全教中央執行委員長の宮下直樹さんに、教育の諸問題と解決のための運動の見通しについて、ご講演いただきました。不登校の子どもたちの数の変遷と病気休業の教職員の数の変遷が一致するとのデータは衝撃的でした。担任手当については他の手当を切り下げることとセットであると指摘、主務教諭については教職員の上下2階層分断を狙っており下層は賃下げになることが予想されると指摘されました。産休育休で先読み加配のさらに進んだ形態として後読み加配正規職員のプール制による代替などが他県では始まっていることが紹介されました。参加者からは「うらやましい話」との感想とともに、具体的にどういう形になるかの質問があり、学習を深め合いました。学級会の中学・高校での状況についても参加者の間で情報交流がありました。私たちが進めるべき教育運動の課題を十分に見出すことができ、とても有意義な時間でした。

 第2部では、長崎高教組委員長の勝村功さんが、高校入試制度の状況について説明をしました。「制度が変わるスパンが短い。このため現場も保護者も生徒たちもどう変わったのか十分に理解ができていない」と指摘しました。また定員割れとなる学校が増加していることから「統廃合の加速」の懸念が示されました。参加者からは、統廃合を食い止めるものとして、地域の住民との共闘や地域に信頼される教育実践が必要との感想が寄せられました。

 退職教職員で現役時には高教組の教文部長を務めた方から、会全体について「自分が当事者であったことが、それほど遠い昔の話ではなかった、ストレートにつながってるんだと思えて、参加してよかったです」との嬉しい感想をいただくこともできました。

弘済会2024年度第2回運営委員会

 2月21日にセントヒル長崎で開催。奨学金(給付・貸与)や教育研究助成など次年度の事業計画及びその予算案が審議され、承認されました。

 県教組と高教組の他、校長会、教頭会、事務職員協会、県教委、学生協が参加して運営する弘済会では、日頃は立場上対立関係にある方々とも、教職員の生活の支え合いと、子どもたちの豊かな教育の実現をめざして協力し合います。弘済会は組合の精神の中から生まれた組織です。代表の方々は元は教職員の出身で、会の中でも、会終了後にも、子どもたちの頑張りを、とても素敵な笑顔で楽しそうに話されていました。みんなステキな方々です。

「主務教諭」導入に反対するオンライン署名

オンライン署名 · 教師のなり手がいなくなる…「処遇改善」と言いながら、基本給を引き下げるような改革は止めて下さい! #主務教諭に反対します – 日本 · Change.org

いわゆる「新たな職」に長崎高教組は反対しています。上下関係が強化され、教員の自主性が弱まることと、賃金の切り下げにつながることの2点からです。長崎では次年度から主幹教諭が高校に配置されることになりましたが、国はそのさらに上に立つ主務教諭を新設しようとしています。「新たな職」の方々は「準管理職」的な立場になるので、授業は軽減され、担任や部活動顧問からは外れたりします。

私たちが求めているのは「今の職」であって「新たな職」ではありません。教育労働は生徒と向き合う者が自らの判断で行う自主性の強いものであり、上司の指示命令通りにやってもうまくいくものではありません。上意下達の強化につながる主務教諭など要りません。

また上の表にあるように、主務教諭が導入されれば、そうでない一般の教諭は賃金が切り下げられる可能性が高いです。というよりも財源を毎年切り詰められていますので、片方を下げなくては片方は上がりません。

この点からも高教組は主務教諭に反対です。

上記のオンライン署名は筆数が急増しているようです。ぜひご協力をお願いします。

忙しさを解消するには「人を増やす」この一択です。

業務効率化へ工程表作成など提言 長崎県教委「教職の魅力化作戦会議」、年度内に公表 | 長崎新聞

工程表など面倒なものをつくらずとも、「人を増やす」ができればすべて解決します。

なぜ「人を増やす」ということを議論から避けるのでしょう。文科省への忖度でしょうか?

どうしても工程表をつくるというのなら、作成に時間がかかることが予想されますので、その作業はすべて管理職がやってください。教職員は意見だけ言わせていただきます。分担の名の下に、教務主任とか、学年主任とか、主任に押し付けてはなりません。学校における主任は職員の連絡調整係であって、管理職の下請けではありません。

くれぐれもよろしくお願いします。

文科省の皆様、これ食べて、皆様の仕事である「教職員を増やす」ということに、やる気をおこしてください。。

受験生を応援「長崎やる気おこし」発売 中学生の職場体験きっかけに開発 | 西日本新聞me

諫早の明峰中の生徒たちが発案し、杉谷本舗、杵の川、チョーコー醤油の三社が共同で商品化したそうです。子どもたちと地元企業の「やる気」、ステキですね!

教職員組合を加えずに、外部の素人さんだけで、教職の魅力化の作戦を練っているそうです。

業務効率化へ工程表作成など提言 長崎県教委「教職の魅力化作戦会議」、年度内に公表 | 長崎新聞

免許更新制の時にその根拠として「教職は専門職だから」と言われたものですが、そう思うのなら専門家の話をまず聴くべきです。素人さんより先に。

Xでの工藤勇一氏の投稿②

 横浜創英中学・高校の元校長で、政府・文科省でも教育政策に深く関わってきた工藤勇一氏の問題提起です。2回目。

  お気を悪くなさる方がいらっしゃることは承知していますが、僕が学校で感じてきた違和感を述べておきます。改めて本質を考えるきっかけになってくれたら幸いです。

◯ あいさつ運動 ◯ 強制して行う運動会組体操、集団行動◯ 運動会での入場行進練習、ラジオ体操練習 ◯ 一言も声を出さずに行う清掃(黙々清掃) ◯ 強制で行うクラス対抗合唱コンクール ◯ 小学校卒業式での呼びかけ ◯ 卒業式リハーサルでの繰り返される礼の練習 ◯ 2分の1成人式での親への感謝の作文指導 ◯ 立ったまま行う朝礼 ◯ 朝礼終了後のクラスごとの行進 ◯ 校門での服装頭髪指導 ◯ 5分前行動の徹底指導

 特に小学校の卒業式での呼びかけについては、53年前に僕自身も卒業生として経験していますが、心にも思っていないことをなぜ言わされるのか、疑問に思っていましたし、そうしたことを言わせる先生たちをすごく嫌な気持ちで見ていました。

Xでの工藤勇一氏の投稿

 横浜創英中学・高校の元校長で、政府・文科省でも教育政策に深く関わってきた工藤勇一氏の問題提起です。

 教育界には、「良いことだとほとんど疑うことなく信じられ、当たり前のように行われていることがたくさんあります。 例えば、日本全国の小中学校で長く続けられている「あいさつ運動」、そして近年、一部の地域で広がりつつある「黙々清掃」などが挙げられます。 僕が尊敬する校長先生の中にも、これらの活動を先頭に立って推進されている方がいらっしゃるので言いづらい部分もありますが、それでも問題提起をしておきたいと思います。 皆さんは、「あいさつ運動」によって傷ついている子どもがいることを考えたことがありますか? 登校をためらう子、場面緘黙の子、人間関係に悩んでいる子にとって、「あいさつ運動」は必ずしも心地よいものではありません。朝の校門を関所のように感じている子もいます。 ずらりと並んだ生徒や先生、「おはようございます」の連呼——。一体、誰を見て、誰にあいさつすればいいのか? 何回あいさつすればいいのか? そうした状況に、教師の私でさえ戸惑うことがあります。 さらに、以前は毎日のように校門で頭髪や服装チェック、遅刻指導などが行われ、「出直して来い!」と家に戻されることも珍しくありませんでした。こうなると、もはや「あいさつ運動」の目的が分からなくなってしまいます。 言うまでもなく、あいさつとは単に「おはよう」「こんにちは」と声をかけることだけではありません。あいさつはコミュニケーションの一部です。例えば、職員室の前で明らかに外部の方が立ち止まっている場面を想像してください。 「何かお困りですか?」 「何かご用でしょうか?」 「どなたかとお約束ですか?」 このような声かけも、立派なあいさつです。むしろ、こうした自然なやりとりができる教師が増えることのほうが、あいさつ運動よりも学校にとって意義があるのではないでしょうか。 子どもたちは、大人の姿を見て、あいさつの本当の意味を学んでいくのです。 さて、「黙々清掃」についても、その危険性を考えたことはあるでしょうか? 黙って掃除に集中する姿は、日本特有の精神修養のようにも見えますし、効率が良いようにも思えます。 しかし、改めて考えてみてください。全国の子どもたちが、自分の意思とは無関係に黙々と掃除をしている光景を。本当に、私たちはそんな姿を望んでよいのでしょうか? 価値観は人それぞれ自由ですが、それを他人に押しつける行為は、ときに暴力にもなり得ます。学校は、一部の価値観を押しつける場所ではありません。 誰一人取り残さず、持続可能な社会を築いていくために、私たちは今こそ、学校の本質についてもっと議論する必要があるのではないでしょうか。