諫早湾のほとりにて

野乃あざみ・作

―7-

三(3)

「へええ、そっかあ。でも、何で、そこだけ木造校舎やったと?それと、分校って何?」
「そうねえ。分校ていうとは、普通は山奥の村の小学校とか、通うのが大変か場所に作るもんやけど、ここの場合は、田舎の小規模校やから、予算の降りんやったとかもしれんね。独立校にするより、経費節減になるし」
「ふうん、何か冷遇されとるって感じやなあ」
 第三者から見てもそう見えるのなら、やっぱりそうなのだろう。古びた校舎だったのにも理由がある。そこに建てられていた中学校が移転して、いらなくなった「お古」を頂いた、というのが真相のようだった。その証拠は、校門の石柱に残る「有明中学校」という文字だつた。「有効活用」はいいとして、分校の存在感が薄かったことは、否定できない。
 木造校舎は趣があって好きだったが、雨漏りには困った。生徒と一緒にバケツや洗面器をかき集め、座席を移動させてから授業を始めたこともある。教育委員会も、とうとう無視できなくなって、建て替えを始めた。ただし、できあがった新校舎はプレハブで、夏は暑く、冬寒い、という代物だった。
 分校は、地域での評判はよくなかった。その理由は、街の進学校に入れない生徒がやって来るからだった。確かに学業は今一つ、家庭的な問題を抱えている、という子が多かったのは事実だった。しかし、受験校にはないおおらかさのある学校だった。
 「そう言えば、最初に校舎に足を踏み入れた時はびっくりしたよ。春休み中で誰もおらんて思うたら、奥の教室に、十人くらいの女子が集合しとったとよ。何だろうって思うて、中に入ったら、全員、ブロブロした長かスカートの、スケバンスタイルで」
 「え、スケバンって本物?オレ、ドラマや漫画でしか見たことなか」と大輔。
 「ああ、あのころはね、男子のツツパリに女子のスケバンが、不良の定番やったとさね」
とは言え、その時代に生きていた私でも、初めて見る光景だった。前任校ではそんな極端な格好をする生徒はいなかつた。この違いは何かというと、生徒の実態が異なるからだろう。分校では、厳しい規制で締め付けるのではなく、気長に指導するという方針だったようだ。
 「それで、そいつら、何ばしよったと?」