野乃あざみ・作
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四(2)
「ギロチン」と呼ばれる鉄の板が、一気に海を閉じ込め、湾の半分を淡水化した、というニュースがテレビで流れ、全国に広まった。行き場を失った生き物たちの死骸が、累々と浜を埋め尽くしたとか、その腐臭が一年以上も消えなかったとか、耳を塞ぎたくなるような話ばかりだった。その後のことは気になりつつも、なかなか来ることができなかった。あらためて、自分の眼で見ると、これまでの経過が思い起こされる。
干拓工事が始まつた直後、早くも周囲の海の、漁獲高が減つた。怒った漁師たちが「排水門を開けろ」と要求した。教職員組合も賛同し、県知事選に候補者を立てるなど、率先して運動を繰り広げた。私も、できる限り参加した。そして、福岡高裁の出した「開門すべし」の判決が確定した時には、問題が解決したと思つた。しかし、この目で見る限り、まだ開門はなされていない。調整池の内部がヘドロの水たまりと化していること以外、最近では情報が少なく、よく分からない。一時は全国の耳目を引き付けたのに、今は忘れられかけているような気がする。
小学生のころに見た長崎県地図では、有明海はミトンの形をしていた。佐賀から熊本にかけて広がるのは、その本体の部分。横に突き出た細長い入り江が諫早湾で、ミトンの親指に見える。干拓工事が、その親指を半分切り取つてしまったのだ。当初の計画から工事規模を半分にしたと言われているが、それが何だと言うのだ。
そんなことを考え込んでいると、大輔が声をかけてきた。
「どうしたと?何かあつた?」
「いや、何でもなか」そう答えるしかなかつた。
自分でよく整理できていないことを、息子に話しても仕方ない。
「じや、そろそろ下界に下りて、メシにしますか」促されて、私は立ち上がつた。