野乃あざみ・作
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三(1)
今走つている国道の右手は、一面に刈り取りの済んだ田んばになっている。見慣れていた泥色の浜が、どこにもないことを理解するのには、しばらくかかった。
「もうだいぶ来たけど、これからどこ行くと?」
その声に、はつと我に返った。
目の前には、旧・高来町文化会館が見える。今では「諫早市・高来地区文化会館」だ。平成の大合併で、隣の諌早市に吸収されたからだ。学校跡地まではあと数キロだが、待ち合わせまでの二時間をどう過ごすかが、新たな問題だった。
「時間のできたけん、ここらで食事でもしよう。轟の滝つて、知っとるね?」と尋ねると、
「あんまし、聞いたことないなあ」という言葉が返ってきた。
「え、本当? 有名か観光地よ。映画監督の黒沢明も撮影場所に選んだくらい、景色のよか所さ。確か、ヤマメの塩焼きとか出す店が、近くにあったはずやけん、行ってみよう」
すぐ先で、国道から左折して、JR湯江駅の前に出る。それから小さな商店街を抜け、右手の山に向かってゆっくり進むと、川沿いの道に行きついた。川原一面に、大きな丸石が転がっている。多良岳から流れる急流に削られた岩が、あちらにぶつかり、こちらにぶつかりして角が取れ、丸くなってここまで来たのだ。その豊かな湧き水は付近の農地を潤している。かつて、この場所で、チョロチョロという小さな水音を聞いたものだった。それは、川沿いの谷に連なる棚田の、上の段から下へと、順番に水が落ちる音だった。まんべんなく田んぼへ給水する、緻密な計算によつて稲作が営まれていることは、初めて知ったのだった。今は、棚田の数も大幅に減ったようだ。これも時の流れか?。
だんだん道路は狭くなり、片側が急な崖になった。やがて、ごつごつとした岩肌の下の空き地に出る。はるか上の岩間から、一筋の水が落ちてくる。これが「小糸の滝」だ。美女が長い髪を垂らした後ろ姿を思わせる、優美なたたずまいだつた。傍にある水汲み場では、誰でも無料で、銘水を持ち帰ることができる。ポリタンクがなかつたので、ペットボトルに水を汲み、先を急いだ。