野乃あざみ・作
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一(2)
当時住んでいた教員住宅は、東のはずれにあつ た。さすがにそこには堤防もなく、居室の三階からは、本明川の河口付近を眺めることができた。付近は湿原で、背の高い草が生い茂り、至る所に水門があつた。時たま、小舟が係留されているのも見られた。
ある時、早朝から、ダン、ダン、ダン、という、大きな音が聞こえたことがある。窓から見下ろすと、すぐ近くの上手に、長いベルトコンベアーが延びていた。四角い薄板が、ゆつくりとその上を流れていく。目をこらすと、薄板と見えたのは小さな簾のようなもので、表面に黒いものが塗りつけられている。あれは何だろう?しばらく考えた末、海苔を製造する機械らしいと、気がついた。沖で摘んできた海苔を運んできて、ここで成形してから、他所で乾燥させるのだろう。
海はまだ数キロ先だったが、岸に停めてある舟を使えば、沖の養殖場まで一気に行くことができる。河と海とは繁がっていたのだ。有明海と言えば、日本でも有数の海苔の産地。そして、その一画が諫早湾だ。つまり、ここから出荷された海苔が、一級品として、全国に届けられていたのだ。
そんな思い出のある街を過ぎ、車は東に向かっている。そう、この路は、あのころの通勤路だつた。四十年も前の景色が、昨日のことのように思い出される。
国道207号線は海岸に沿った道路だ。往きは朝陽がまぶしく、帰りには、夕陽が眼に入ったが、渋滞とは無縁だった。それと言うのも、多くの車が街に向かうのに対して、反対向きの通勤だったからだ。
海沿いではあっても、じかに海が見えるのは、十五分ほど行った先からだつた。いつもほぼ同じ時刻に通るのに、海面の高さは日によつて違う。道路際まで迫るかと思えば、遠くに退いていることもある。諫早湾の干満の差は大きいと聞いていたから、きつとそのせいだったのだろう。干潮の時には一面泥色の浜になる。正直、あまり美しいとは思わなかつた。それが干潟というものだと、誰かに教えてもらつた。泥の平原が広がる彼方には、竹竿が林のように並んでいるのが見えた。海苔か牡蠣なのか、はつきりと分からないが、何かの養殖場であることは確かだった。
干潟で獲れる「ムンゴロウ」という魚が、TVや雑誌で紹介されることもあった。年に一度の「ガタリンピンク」というイベントも有名だった。しかし、全身泥まみれの競技者を見ても、参加しようという気にはならなかつた。潟土とヘドロの違いも分からなかった、そんな私が、千潟の貴重さを知ったのは、それが失われた後のことだつた。