おそらく、ひとつの精神的所産にすぎぬ詩を理解することはたやすい。また、言葉の感覚的秩序によって、私自身の過ぎ去った時間を呼び起こすことはさらにたやすい。
言葉は共通の伝達手段であり、最も身近な、そしておそらくはいちばん確実な伝達の道具であるが、それは必要によって歪曲され、周囲の状況によってはじめて適応すべき性格が決定されるところの粗雑な道具ででもある。
そういう意味からも言葉は真実を伝えることは難しいが、真実以上を伝えることもできるし、それと戯れることもできる。人間が言葉を作っていくように、また言葉が人間を作ることもあり得るのだと、私は思う。
音楽がある意味で特権的な楽音の体系を与えられているのに対し、詩は言葉という粗雑な道具を頼りにする以外に表記の手段はない。
これまで何かを吐き出すように詩を書いてきたが、一篇の詩を書く場合にも、他から切り離された自己とか、純粋に独創的な言葉とかはあり得ないのだと思うようになった。
今ここに、無作為に並べられた私の言葉たちは、単なる独白(モノローグ)の文字化に過ぎないものばかりだが、私にとってはこれから歩く長い道程の大切な道標でもある。とはいえ、言葉は文字になった瞬間すべてが過去になる。さらに懐旧の念を抱いて書いたものは、文法に従うなら過去完了とも呼ぶべき遺物でしかないだろう。そうするとこの詩集に集めた言葉たちはすでに息絶えてしまった遺物ばかりなのかもしれない。
落穂拾いのように、枯葉を掃き集めるように集めた言葉たち。自分で書いたものながらすでに死んでしまった言葉たち。しかし、みんな懐かしく愛しい言葉たち。
私に二十二歳という時間が二度と来ないように、この詩集もまた二冊とはないものである。だからこの詩集で何よりもだいじにしたかったのは、想い出や言葉と戯れながらも、できるだけ当時の心境に近づくよう努めたことであった。
1970年、私は東京へ出た。
すべてに黙しがちだった私の唇はほどけてきた。そして五年経った今、心の中に堆積された言葉たちをほぐしかきあつめ、私自身の心理の系統付けを試みようと、短命な、そして僅かばかりの言葉を利用しいてまとめてみたというわけである。
いま、初めから読み返して感じるのはあまりにも多層的な自分自身の意識構造である。人の心が多くの意識を含んでいるのは当然のことだろうが、それは決してジキルとハイドでもなく、多重人格と呼ぶべきでもないだろう。
時に自分の歩く道を振り返り確認することは重要だ。そういう意味での本書であり、いわば人生という交響曲(シンフォニー)の四分休符に過ぎない。しかしこの中にはおよそ詩とは呼べない代物も多く含まれ、汗顔の至りだが、そういうものも自分自身の出発点だと考え未熟な者も一概には省き去ることができなかった。そのためにこの詩集そのものが中途半端との謗りを免れない。
ところで、かつて「青春とは労わりあっては何も残らない。深く傷つき合わなければ何も残らないのだ」と言った人のことを思い出す。
1975年、嬉しくも私はその人と再会できた。その人は昔と変わらぬ明るさで笑い、語った。昔馴染みの喫茶店の一杯のコーヒーは少しすっぱく、けれど温かく私の心を和ませた。
どうやら私の交響曲もやっと一小節書き上げたようだ。だが、これは新しい旅立ちに他ならないのだということも感じている。
いま、私の中で一筋の青い煙が立ち上り始めているのを自覚する。書き終えてやっと何かが見えてきたような気がする。過ぎ去った時間が今では冷静に見渡せる。そして、あと何年か経って、また意識の統合が必要になってきたら、この詩集の続きを書いてみようと思っている。
最後に、本詩集をまとめるにあたり、助言と励ましをくれた正木君、中野君、そのほか友人諸君に深く感謝する。
一九七五年三月 松浦にて