諫早湾のほとりにて

野乃あざみ・作

―23-

九(2)

「川と海で、多少は事情の違うけど、水の恐さは 同じことさ。湾の周りの農家の人たちは、高潮の起こる度に、水門ば閉めたり浜に排水の溝ば掘ったり、必死で田畑ば護りよったとよ。ちよっとでも油断したら、塩害にやられる。そんな農家にしてみたら、池に海の潮ば入れるっていうとは、とんでもなか話さ。干拓工事のおかげで安心しとったとに、ってね」
「農家と漁師の対立っていうとは、難問やなあ」
黙つて聴いていた大輔が、ポツリと言う。
他人事のような言い方はマズいと思ったが、後の祭りだった。しばらく、重い沈黙が続いた。それを破ったのは田所だった。
「対立は、オレら漁師の間でも起こったさ。親父たちの代は、漁師は全員、干拓反対やった。それが、三度目の計画案で『防災と環境保全』ていう言葉の出てきたら、反対しにくうなってしもうた。周りの漁協が、だんだん認める方針に変わっていって、気がついたら、反対しとるとは、県内では小長井漁協だけになっとった。ウチだけ反対っていうとも難しか。回りから追い込まれる形で、ウチも、了承になったとさ」
 田所は深く息ついて、言葉を続けた。
「まだある。『干拓地の外では、ほば影響ありません』て、事務所の連中の言いよったとに、工事の始まったら漁獲はガタ落ちした。『ウツつくな』って言うて、オレらは事務所にどなりこんだ。その後も、海上デモやら道路の封鎖やら、いろいろやつた。組合長は、いつも、オレたちの味方やった。そいが、ある日、『止めろ』って言い始めた。あんまりやり過ぎたら、補償金の出らんごとなるってさ。道路封鎖も工事の妨害にあたるけん、逆に、賠償ば要求されるってさ。手の平返しっては、このことたい。あん時はもう、人間の信じられんごとなった」そう言うと彼は、肉厚の手を、ぎゅっと握りしめた。
「もうよか、もうよか。辛か話はそんくらいにしようや」と、木村先生が遮った。